times

実家に帰る飛行機の中で。

人には寿命がある。
それは分かっているはずなのだが
いなくなることを考えると
悲しいという気持ちよりも
そう頭で考えるよりも
先に涙が溢れてくる。

死ぬこことと居なくなることは
同じことなのかもしれないが
彼女がこの世に居なくなることを
想像するととても辛い。
親と子、それぞれがそれぞれの
場所と時間で生きていることを
何も不思議に思わなかったが
それはまたいつか会えるという
根拠のない自信があったからだ。
いざ、こうして時間が限られている
ことを現実に認識させられると
どうしてよいか分からなくなる。

何て言葉をかければ良いか
どう接してあげれば良いか
何をして過ごせば良いか
今より少しでも元気になれるのか
一緒に小旅行をする時間はあるのか
それが出来るだけの体力はあるのか
話をしておくべきことはないのか…等々
こうして書くことで考えることができ
同時に頭の整理をしている。

これはしておいた方がよいと
思うことがあれば条件を問わず
何でも教えて下さい。

自分を生んで育ててくれたことは
彼女の役割であって
子供の自分からしてみると
意味、意義があったんだろうと思える。
肉親の生死の狭間で死を感じると共に
自分の生きる意味を考えてしまう。
でも、そんなものは後付けで
なるようにしかならなくて
ただ生きている中で結果的に
そうなっているだけ…とも考える。
これはどうでもいいか。

書こうと思ったことと
全然違うことを書いてしまった。

田舎で生まれ育ち
自分の周りには当たり前のように
自然が溢れていた。
しかし、都会暮しもそろそろ
20年にもなろうかという
東京生活の日常では
地球で生きていることを
まるで実感できていない。
飛行機の中から
山脈の標高が高い部分に
うすく雪が降り積もって見えた。
その山間を縫うようにして
川の流れに沿うようにして
町の明かりや家が密集している光景は
人間が地球に巣食っている
ように見えてしまう。
人間も他の動物と同じように
地球という自然の中に
生きていることを感じさせられる。
地球に生まれ地球で死んでいく。
そう考えると、ばあちゃんが
死んだ時に考えていた
生きる意味は何なのかという点が
微かに自分の中で腑に落ちた。

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